「こんな公園にしたい」2007年10月20日 13:05

 西部自然公園に関するシンポジュームのパネリストにされた。二つ返事で引き受けたものの困惑している。

 「こんな公園があったらいいなあ」という思いはあるが、公園を管理したことも作ろうと構想を練ったこともいまだない。関わった理由は、行政主導ではなく市民協働の一つのサンプルとして公園作りを機能させたい、またそうすれば良い構想が生まれるであろうかと思ったからだった。

 転勤であちこち動いたが、札幌市の藻岩山、北九州の小文字山、弘前市の久度寺など転勤先の借家はだいたい山麓で、休みの日に山道を散策するのが楽しみだった。
 どの公園も楽しかったがどう管理されていたのかは全く気づかなかった。 しかし、登るための遊歩道など、それなりの先人や地元民のご配慮と奉仕があってのことだったろう。

 藻岩山は冬はスキー場になるのでリフトがあった。周辺は原生林として守られていた。ヒグマ警報がでることもあった。
 小文字山は山腹に朝鮮戦争で亡くなった米兵の鎮魂碑があり、その先は足達山に続いていた。
 久度寺はオシラサマで有名な寺があるから宗教施設の山ということができる。

 私はそういう意味で、自然の楽しみの消費者であって生産者であったことが一度もなかった。今回はその反省で立場を変える意味で公園に奉仕したい。また、自然が破壊されぬように努めるには、お百姓さんが少なくなった現今、自然環境の楽しみの生産者になる人が名乗り出ることが必要だ。

 西部自然公園の多くの土地は、谷津を取り囲む里山と呼ばれる小高い丘であるが、山頂の裏側台地が車道に通じているため、神社でも祭られているべき場所に不法投棄が山をなしている。

 また人通りも少ないので草が生い茂って歩きにくい。しかも入り口には「マムシに注意」という佐倉市の看板が立っている。今の生活者はマムシの姿を見たこともないし習性も知らないから看板は「入るな」という脅しにしかならない。

 用地は82ヘクタールという広い面積なのだから、まず案内図や標識が必要だろうと思う。見所の説明も必要だ。それに従って、ボランティアは道を整備したり草刈りや里山の枝払いと間伐などを行うのが良いと思う。

 条件が整えば、草刈りも枝払いも間伐も楽しい労働になるし、ボランティアの希望者も少なくないだろう。市民の参画と奉仕で生物多様性を尊重する公園にすること。すべての生物のための公園にすることを主張し市民主導の作業にすることを説こうと思う。

 少々個人的なことを述べれば、谷津田の開墾などを手伝ってひどく疲れるようになった。歳のせいだとは思っていたが、市役所健診で引っかかったついでに3日間の入院で心臓のカテーテルを行った。

 手首をつよくビニールで巻かれて、その上にまた手術衣を被せて、衣の上から針を刺した。心臓まで管を入れて造影剤を注入する。痛みはないが身体が熱くなる(心臓が本当に悪い人は痛むことがあるそうだ)。

 ぐさりという感じで刺された時、これが痛かった。後は辛抱して時間経過を待つのみだった。終了後は動脈を止血するために一日強く抑える。これがまた痛い。しかしそれ以外は快適な休日だった。病院も清潔で若い美人の看護師さん(こんなことを言ったら叱られるが)も親切だった。

 結局、血管に異常はないようだったが、血圧は下げなければならないということで、大量の薬を持たされた。知人は「仕事を抱え込んでいたら血圧が上る。仕事を止めたら下がる」と言ってくれたが、その通りだと思う。定年後の大学講師も止めてそれから更に忙しい。しかし主治医の先生はそう簡単に事情を認めたり、わがままを許してはくれない。

 検査入院で体のリズムが狂って、退院後にはさらに不調になった。アスレチックへ体操にも行けず仕事ばかりなのでこれもよくない。こうして老いて行くのだろう。

 叔母が残した遺産分与のため、調べたり、整理したりして親しくない親族に連絡した。これから会いに行き、印鑑を貰わなければならない。今になって、この面倒を避ける為には認知症になる前に遺書を書かせておくべきだったと後の祭りの後悔したりする。

 介護老人ホームへ入れた認知症の93歳の叔母の世話も大変だし、亡くなった95歳の叔母の永代供養墓の用意も「勉強だ」と思えば苦にならないが、たいへん手間の仕事なのだ。