<?xml version="1.0" encoding="utf-8"?>
<rss xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/" xmlns:dcterms="http://purl.org/dc/terms/" version="2.0">
  <channel>
    <title>yoisakura blog</title>
    <link>http://yoisakura.asablo.jp/blog/</link>
    <description/>
    <language>ja</language>
    <generator>mc 0.0</generator>
    <pubDate>Mon, 11 Jan 2010 16:29:44 +0900</pubDate>
    <item>
      <title>地方の時代</title>
      <link>http://yoisakura.asablo.jp/blog/2010/01/11/4807142</link>
      <guid>http://yoisakura.asablo.jp/blog/2010/01/11/4807142</guid>
      <pubDate>Mon, 11 Jan 2010 16:25:07 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2010-01-11T16:29:44+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2010-01-11T16:29:44+09:00</dcterms:created>
      <description>　過去十年で最大の歴史的リスクを作り出したのはアメリカのブッシュ政権だった。その政策下で世界経済を破壊してしまったのはサブプライムローンに端を発したリーマン・ショックなどだったことは言う迄もない。こうした事態の予測予言に関してアメリカの調査会社は全く無力であった。ムーディズなどの経済調査報告はむしろ詐欺であったと言ってもよいほどだった。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　こうしたアメリカの調査コンサルティング会社の一つであるユーラシア・グループが、今年の世界10大リスクの５位に「鳩山政権」を挙げた。挙げた理由がまた振るっている。「鳩山政権の官界と産業界の影響力を小さくしようとする政策」が、世界的に見ると高い危険要因になっているという。あまりにも児戯的なリスクの指摘にアメリカ人の知性を疑いたくなる。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　瀕すれば鈍するという諺通り、アメリカの調査会社はすっかり認知症になってしまったようだ。これに日本の官界や経済界などが絡んでいるとすれば、それはまさにアメリカ人の下僕に成り下がった日本人がそこにいるということになる。&#13;&lt;br&gt;
　&#13;&lt;br&gt;
　後から振り返れば200年だか300年に一度の歴史の転換点として未来からは振り返られるだろうというが、そこに生き、傍観する幸せということもできるだろう。新しい年への序言である。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>地方の市民運動</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>地方の時代</title>
      <link>http://yoisakura.asablo.jp/blog/2009/12/14/4756645</link>
      <guid>http://yoisakura.asablo.jp/blog/2009/12/14/4756645</guid>
      <pubDate>Mon, 14 Dec 2009 11:35:10 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2009-12-14T11:58:32+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2009-12-14T11:53:34+09:00</dcterms:created>
      <description>　地方の時代と言われるが、それぞれの自治体を中心に市民自治基本条例が検討され始めている。このことは地方自治を進めるに当たってとても大切で貴重なことと言えるが、その一方で自治体が上からの目線で「市民自治基本条例」を作ってしまおうという対応も見られる。佐倉市の動きもその一例だと思われるのだがどうだろうか｡（末尾に佐倉市ＨＰの自治基本条例策定市民懇談会の委員募集要項をコピーした）&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　ところで早速、下記のような抗議文を送って方針の修正を依頼した。抗議の文面をそのまま次にコピーする。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　前略　　佐倉市企画政策部長殿&#13;&lt;br&gt;
　　　　　　市企画政策課長殿　&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　今回、企画政策部企画政策課ではＨＰを通して下記のような「自治基本条例策定市民懇談会市民委員」を募集しておられるのをみました。&#13;&lt;br&gt;
　しかしながらこれは総務省に聞くまでもなく、「自治基本条例」は一般市民にとって非常に重要な条例になるもの（地方自治の憲法）と想像され、市民にとって関心が深いものです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　わらび市長は市長選挙のマニフエストに「地方自治基本条例」策定を掲げておられました。私たちは一般市民としてこのマニフエストを高く評価しました。そして、昨年秋、佐倉市民自治基本条例の策定に関わる勉強会をスタートさせ、その折に、わらび市長のご来場をせつにお願いしました。わらび市長にはご検討いただいたのですが、お忙しいということで残念ながらお見えになりませんでした。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　ところで、佐倉市自治基本条例というような膨大な条例を策定するということは、大変な、大きな事業になると想定され、市役所のご尽力もなくてはなりません。しかしご尽力いただく内容はあくまでも、地方自治法との整合性の検討や、その他の平たくいえば会合場所の確保、資料の用意、記録作成、市内各地へのＰＲなどの事務方の事業などであって、佐倉市民自治基本条例そのものは市民の自由な発想と討議のもとで策定されなければならないと考えられます。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　別な言い方をすれば市民自治基本条例は、多くの市民の中の多くの識者を集め、議論し時間を掛けて熟成させるものであると私どもは考えています。&#13;&lt;br&gt;
　従って今回の自治基本条例策定市民懇談会のように、ごく少数の市民委員なるものを求めて市民自治基本条例を検討することは、あえていえば市民自治基本条例の精神に反することとすらいえます。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　以上の点をぜひ反省していただき、このような懇談会をつくることを止めていただきたいと思います。そして広く市民の市民自治基本条例の勉強会を組織し、事務方を勤めていただきたいと思います。以上僣越ながら十分お考えいただきご回答いただくことを要望いたします。&#13;&lt;br&gt;
　なお15日に市役所へご意見を頂きに参上します。ご都合をお聞かせください。&#13;&lt;br&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　市民自治を考える会　&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
以下は参照したホームページの内容&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
自治基本条例策定市民懇談会市民委員&#13;&lt;br&gt;
■職務内容　佐倉市自治基本条例（仮称）の策定に関する調査、審議。&#13;&lt;br&gt;
　　　　　　　　　　　　（会議は市役所で必要に応じて開催。１回２時間程度を予定）&#13;&lt;br&gt;
■募集人数　２人&#13;&lt;br&gt;
■任期　　　 平成２２年１月～自治基本条例の策定が完了するまで&#13;&lt;br&gt;
■応募資格　　次の条件を満たすかた&#13;&lt;br&gt;
　　　　　　　　　　　①平日昼間の会議（全３回～５回程度）に参加できる市内在住・在勤・在学の20歳以上のかた&#13;&lt;br&gt;
　　　 　　　　　　　　②市の附属機関等の委員を３つ以上兼ねていないかた&#13;&lt;br&gt;
　　　 　　　　　　　　③国・地方公共団体の議員でないかた&#13;&lt;br&gt;
■応募方法&#13;&lt;br&gt;
　下記の自治基本条例策定市民懇談会市民委員申込書に必要事項を明記し、郵送、持参またはファックス、Eメールにより、市役所企画政策課に応募してください。（応募書類は返却しません。）&#13;&lt;br&gt;
　・自治基本条例策定市民懇談会市民委員申込書　&#13;&lt;br&gt;
　　　　» MSワードファイルはこちら ／ » PDFファイルはこちら&#13;&lt;br&gt;
　　　また、市役所1号館3階企画政策課でも配布しています。&#13;&lt;br&gt;
　　　　　（郵送希望の場合は、80円切手を貼った返信用封筒を同封して請求してください。）&#13;&lt;br&gt;
■選考方法&#13;&lt;br&gt;
　　選考委員会による書類選考により決定し、結果は応募者全員に通　知&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>地方の市民運動</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>マスコミ『八ッ場ダム』に不信と苛立ち</title>
      <link>http://yoisakura.asablo.jp/blog/2009/10/11/4627303</link>
      <guid>http://yoisakura.asablo.jp/blog/2009/10/11/4627303</guid>
      <pubDate>Sun, 11 Oct 2009 11:27:47 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2009-10-11T11:39:32+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2009-10-11T11:34:50+09:00</dcterms:created>
      <description>　マスコミ不信は大きい。以下はＳ・Ｓ氏のメールからの借用である。「巷では八ツ場ダム建設問題が大揺れに揺れている。マスコミは移転を余儀なくされた地元住民の『国との約束、造ってもらわなければ』というコメントばかりを流している。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　しかし、大切なのは『無駄な公共事業は中止する』ということではなかったのか。時代に翻弄された地元住民には十分な手当てをすべきだ。しかし、マスコミが取り上げるべきは、本当に必要な事業なのか否かではないか　?」&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　テレビも新聞も、地元住民の苦難をたびたび流して、さらに困難に陥れたというようなコメントを流す。その上で地元住民との話し合いの前にダム建設中止を決定して押しつけたのは民主的ではない、というような論理を展開する。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　論理があまりに情緒的でありその場限りのたわごとになっている。ダム建設中止を宣言せずに地元民に会いに来たら、一層、地元民の迷いは多くなりさらに宙ぶらりんになるのではないか。前原国交相がはっきり「八ッ場ダム建設中止」と謳った事は正解だと信じるのは次のように思うからだ。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　国交相はマニフェストに載っているから八ッ場ダム建設中止と言って、それで地元民との交渉を打ち切ったのではない。八ッ場ダム建設中止は地元民に同調して都市市民が訴え続けてきたことだった。その根拠は現地へ行き、見て話して専門家の意見を聞いた結果であった。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　国交相は現地をみる前だったにせよ、多くの人が視察し論理的に不要なダムであることを認識したからマニフェストにあるようにダム中止を宣言した。それから現地に入り視察し地元民に会おうとした。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　その地元民が会う事を拒否させたのは八ッ場ダム建設に利権を持った人物や組織だった可能性が強い。民主主義の否定は会って話す事を拒絶させたそのことの方にこそある。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　多くの市民は八ッ場ダム建設に伴い犠牲になる地元民に同情をし、そして税金の無駄遣いであり治水利水に益のないダム建設に反対して１都5県で裁判まで起こしている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　両方から綱引きされて真ん中の地元民の苦しみも分かるが、ここで情を持ちだしては正しい解決は見いだせないばかり、誤った判断を後世に残す事になる。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　情に頼って視聴者や読者をあおるのはいい加減にせい、と怒鳴りたくなるマスコミの報道であった。前原国交相が予め「八ッ場ダム建設は中止」と宣言して視察し、そして地元民と話し合う場に臨んだことは正しい。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　民主的な手続は、話し合うことであって腹の内を隠して話し合いに臨むことではない。納得するまでみんなと話し合うことであって、こじれた地域の代表者だけが地元民を寄せつけずに出てくるという旧い体質のことではない。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>地方の市民運動</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>地域医療と市民</title>
      <link>http://yoisakura.asablo.jp/blog/2009/10/10/4626003</link>
      <guid>http://yoisakura.asablo.jp/blog/2009/10/10/4626003</guid>
      <pubDate>Sat, 10 Oct 2009 15:30:44 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2009-10-16T10:35:08+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2009-10-10T15:48:43+09:00</dcterms:created>
      <description>　健康な時は気にもとめないが、病気になると真剣に良いお医者さんを求めるものだ。確実に先端技術を駆使して手術してくれるお医者さんや、親切に話を聞いて病状を診断してくれるお医者さんを探し求めて行くものだ。傍らの看護師さんの一言が身に沁みるように感ぜられる時もある。 &#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　そんな大事な医療が各地で崩壊しつつあるという話しを聞くようになった。要するに医師や医療関係者に対する待遇が悪かったり、労働過重で医師が逃げ出して医師不足になり、病院経営が立ち行かなくなるケースが少なくないと聞く。 &#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　金融業やＩＴ関連が莫大な利益を挙げる一方で、医療だけは社会主義経済と言って良いような統制経済下にある。診療費から手術、介護、ベット数から、薬まで価格が法律によって規定されているそうだ。ところが凡人は生命が危ないとなると、命はお金に代えられないとばかりに幾らでも払うからということになる。 &#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　それが人情であるけれど、それを放置すれば不運にも手持ちのお金がないとか、貧しいとか言う人は病院にかかれなくなる。そんな事態にしてはならないので健康保険があり、それがどんな人でも平等に医療治療が受けられるようにしている。だから医療関係費が法律的に規定されることになっている。 &#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　それに変更を加える、あるいは改善するなどということは大それたことには違いない。しかし大きな医療費の問題は国の政策による改善を待つことになるが、身近なところで医療を大切にすることも重要だし効果があるのではないだろうか。 &#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　よく繁盛している大きな病院の傍には薬局やコンビニ、そして飲食店、花屋、本屋などが集まって繁華街をかたどっているのを見かける。名医がいれば遠方から患者も来るからホテルまで繁盛する。医療にはそれほどまでの力があるようだ。良い病院を持ってきたい、あるいは地元の病院をそうしたお医者さんが育つ病院にしたいと思わざるを得ない。 &#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　良い病院は良い地元との関係にあると思う。良い地元がなければ医療は崩壊してしまうのだ。ではどうすればよいだろう。思いつきだがいくつかのアイディアを挙げてみたい。 &#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　一つは、大きな病院には隣接して必ず地域の保育園及び託児所を建て、保育と託児を引き受けることだ。女性の医師や看護師が子供を産めない環境であってはならない。子供を産んで託児や保育しながら仕事ができる環境を作ること。その程度のことなら地方の裁量と予算でできるのではないだろうか。また幼児を連れたお母さんにとっても一時の託児が受けられれば受診しやすい、よい病院をつくることができる。 &#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　もう一つは救急車をタクシーと同等の有料にすることだ。救急車はタクシーではない。緊急な処置の必要な病人を緊急に病院へ運ぶ車である。これが無料だからという理由で厚かましく軽い病気に使用されたのでは公益にならない。 &#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　タクシーと同じメーターを使って病院でタクシー料金を徴収してそれを病院の収入にする。料金は距離に応じて計算されて、夜間は当然高くなる。そのタクシー料金は医療費として一部自己負担で還付されるから患者の大きな負担とはならない。 &#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　救急車の収入は、病院の救急医療をする医療関係者等の厚生費等に使用する。どのように使用するかは病院の裁量にまかせるのが良い。しかし付け加えなければならないのは、医療関係者はその業務の重要性から時間外手当とか徹夜手当などという、通常のサラリーマンが得ている報酬がないという、びっくりするような実態を直視して考えなければならないことだろう。 &#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　歳をとって体は弱りやがて病気がちになるのは人間の常であり、その時のわが道のために真剣に今、医療現場はどうあるべきかを考え、少しでも地域医療を良くすることを考える。そしてそれが街おこしにつながると思うのだがどうだろうか。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>地方の市民運動</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>八ッ場ダム建設中止の負債は誰が負うか</title>
      <link>http://yoisakura.asablo.jp/blog/2009/09/13/4577918</link>
      <guid>http://yoisakura.asablo.jp/blog/2009/09/13/4577918</guid>
      <pubDate>Sun, 13 Sep 2009 18:07:02 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2009-09-13T18:15:21+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2009-09-13T18:15:21+09:00</dcterms:created>
      <description>　八ッ場ダムの建設反対を主張し続けてきた。民主党がマニフエストに取り上げてくれて、政権を握る立場になったのでようやく陽の目を見た。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　地元民の方々には本当に申し訳がないとは思うが、これをどうすることもできない。もともと、１都５県とも水あまりで利水に役立たない。地理的な状況から治水にも意味を持たない。八ッ場ダムは建設すると地盤に危険性がある。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　加えて千葉県に関して言えば、地下水利用の美味い水道水を飲んでいるのに、八ッ場ダムができれば、八ッ場ダム経由の不味くて高価な水道水を飲まされることになる。などなどの理由を挙げて反対してきた。&#13;&lt;br&gt;
　&#13;&lt;br&gt;
　この反対理由は専門家の方々に検討していただいた意見である。&#13;&lt;br&gt;
それにも関わらず、議論をたたかわすこともせずに国交省と自民党はごり押しに八ッ場ダム建設を進めてきた。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　その結果、住民を苦しめて移住させたりした。国交省と自民党が八ッ場ダム建設を進めてきた理由は、彼らの利権であるとしか見えない。そうでないならば上に挙げた専門家の意見にきちんと技術的反論をすべきだった。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　市民や専門家の意見も聞かずに八ッ場ダム開発を推し進めてきた国交省と自民党はなんと反論するのだろうか。誰がこれまでの出費と地元民の方々の不都合に対して責任をとるのだろうか。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　玉突きの玉のようにあちらからもこちらからも突つかれて本当に、地元民の方々には申し訳ないけれども、こうして始めてしまったからという理由でそのまま、無駄と不合理を続ければ悪いことや間違ったこともやり得になってしまう。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　始めた方が勝ちという形は面白くない。市民の中の専門家の意見を無視してごり押しの政策を推し進めればどんなことが起こるかということの例証のようなものである。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　地元の方々に対する十分な配慮をしながらも、八ッ場ダムは即刻中止しなければならない。そのための負債は道理を無視し民意に背いて行動した役人や政党に負って貰わなければならないが、結局は今まで自民党に政権を与えていた国民のつけになるのだと思う。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>地方の市民運動</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>裸の王さま</title>
      <link>http://yoisakura.asablo.jp/blog/2009/04/08/4232504</link>
      <guid>http://yoisakura.asablo.jp/blog/2009/04/08/4232504</guid>
      <pubDate>Wed, 08 Apr 2009 11:59:51 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2009-04-08T12:10:00+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2009-04-08T12:05:34+09:00</dcterms:created>
      <description>　裸の王さまが街を練り歩いた。「立派な衣装」と囃し立てたのは名だたるマスコミであった。あれよあれよ、と言う間に放映の態勢が取られて市町村自治体までこれに従った。&#13;&lt;br&gt;
　テレビも新聞も軽薄になった。これも他のマスコミ、他のメディアがやれば、それにのらずにいられない軽薄マスコミの倣い性なのだろうか。昔はそうではなかったというのは老いの繰り言か。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　裸の王さまは言わずともしれた北朝鮮の飛翔体のことだ。ほめ称えて、イージス艦やらＰＡＣ３とかの饗応を用意した。目的は言わずともしれた自分たちが飲み食いすること。つまりこれで市民の反対を抑えて軍事演習をたっぷり楽しむことができた。あちらこちらで恐怖をあおりながら「あまり心配しないで下さい」と地方自治体があやしたのは茶番だった。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　日本国憲法９条で「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と謳っている。憲法に従って考えれば、北朝鮮にどんな問題があったとしても、外交による説得を辛抱強く続けなければならない。制裁処置というのは威嚇である。説得は制裁処置ではなく交渉を重ねることだ。それ以外に方法はないしそれがベストなのだ。制裁を口にするのは武力の一歩手前である。そして効果がない。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　北朝鮮のロケットの能力については予め周知のことだった。また、それが人工衛星という口実だったら、当然、衛星を提供する交渉もあり得た筈だ。無法者が無法に走り出さないように止めるにはやはり説得しかない。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　本当にミサイルだとしても、それを迎撃すればその結果、破片はもっと広範囲に落ちるし迎撃ミサイルの破片も追加される。こんな馬鹿な安全対策が住民保護を口にする国民保護法の主旨なのだ。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　裸の王さまをプロデュースしたのは政府高官か、アメリカのアドバイスか分らないが大成功だと祝杯を挙げて喜んでいるに違いない。麻生じり貧政局は暫時忘れられた。こうしたうまいプロデュースが続けば再び自民党は総選挙で大勝利を得るに違いない。９・１１でブッシュの支持率がぐんと上がったように。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　一方、アメリカ経済の暴落はもう止めようがないとされているが、北朝鮮の危機をあおってその売れ残り（使い残り？）兵器を日本が買わされる仕掛けは着々と進んでいる。アメリカを攻撃するミサイルの防衛に迎撃ミサイルを買わされて配置し、アメリカの前線堡塁的存在にさせられる。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　そんなことに唯々諾々と従う官僚、それに操られるマスコミ。なんとも情けない図式である。隠遁して静かに過ごしたいと思うのだがそうはいかないのが現代でもある。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>地方の市民運動</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>オバマとメドベージェフが軍縮を</title>
      <link>http://yoisakura.asablo.jp/blog/2009/04/02/4221171</link>
      <guid>http://yoisakura.asablo.jp/blog/2009/04/02/4221171</guid>
      <pubDate>Thu, 02 Apr 2009 15:43:14 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2009-04-02T15:49:17+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2009-04-02T15:49:17+09:00</dcterms:created>
      <description>　ロンドンでオバマとメドベージェフが首脳会談を行い、核軍縮に取り組むことを確認したというニュースが新聞紙上で踊っていた。ひさびさの明るいニュースだ。&#13;&lt;br&gt;
　それにひきかえ日本の現状の暗さはどうだろう。北朝鮮を敵視して衛星打ち上げに文句をつけている。もともと拉致問題が解決しなければ交渉を持たないとか制裁するという脅しばかりで接していた。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　拉致問題は大きな問題にはちがいない。しかしそれが制裁で解決できる問題ではないことは当たり前だ。外交や民間交流を通じて次第に解決すべき問題だろう。ブッシュをあてにしてみたり、制裁をいくども宣言したりというやり方はもうあきあきした。それらは最低の手段である。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　人工衛星なのか、長距離ミサイルなのかは分らなくても、国際社会で行われていることを特定の国家に対して制限するということはすでに見下した国家観がそこにある。どちらにせよ生き延びるために必死の国家に対して有効なのは太陽政策だけだろう。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　北朝鮮を敵視することによって利益を得るのは国内の不安を駆り立てて、エクスキューズを作り上げる軍需産業とアメリカミサイルのバイヤーたちだけではないだろうか。あるいは憲法９条を変えたいと望んできる右翼も含まれるかもしれない。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　このグローバルの時代には核弾頭もミサイルも相応しくないのは当然だが、北朝鮮にそれを言う前にもっと国内の平和の礎を強固にすることが大事であるしそれは制裁を口にすることでもなければ、国連安保理に訴えることでもないだろう。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>地方の市民運動</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>多数派とは</title>
      <link>http://yoisakura.asablo.jp/blog/2009/03/09/4162453</link>
      <guid>http://yoisakura.asablo.jp/blog/2009/03/09/4162453</guid>
      <pubDate>Mon, 09 Mar 2009 12:04:53 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2009-03-09T12:23:44+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2009-03-09T12:23:44+09:00</dcterms:created>
      <description>　愚かな大臣の動きを見ているとついつい民主主義とは何かと考えてしまう。平たく考えれば暴力に代えて多数意見で決めるのが一番当たり障りがないだろう、と言う程度の方法ではないか。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　当たり障りがない、ということだけで押し通せば、少数派であっても暴発する危険はあるだろう。ましてや大多数の同意を得ていない見せかけの多数派の行為は全く暴力的と言っても過言ではない。あるいは腐敗につながった主義である。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　他に方法がないから民主主義で行くと言うことは、それなりに道徳的内容も含んでいる。少数派の意見を無視しないことや言葉を裏切らないことなどは当然のこととされなくてはならない。ものや金や血縁の関係で多数派になってはならないことは当然のことなのだ。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　人間の根源にあるエゴイズムはどうあっても克服できるものではないが、それを他者の意見によって修正するのが人間の本来の悟性というものだろう。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　アメリカのサブプライムローンに始まる一連の経済的な問題は、金融危機から世界的な恐慌に進展した。アメリカと言う国に対する失望と嫌悪がつのってきた。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　そして金融工学による金融手法とか企業評価がいかにいかさまであったかという点に気づかされた。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　そのことと日本の外務省や国土交通省、通産省などの腐敗、もしくは思想的な勘違いとは固く結びついていると言う風に感じられる。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　大きな国が押しつけるルールや方法は、他国にとって非常な不利を被ることが少なくない。それは形の上では多数派が少数を説得するに似ているが民主的なやり方ということはできない。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　「世界を小さな村にしてみたら」という寓話が数年前にあった。正確かどうか分からないが、アメリカは世界の富の70％を持ち、そのアメリカの富を数％の金持ちが握っていると言われた。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　不況で寝るところもない人がいる一方で、あるいは、明日の受注に眠れぬ夜を過ごす中小企業がある中で、国の支援を得たアメリカの銀行家が、数十億円のボーナスを受け取るなどということは、異国のこととは言え納得できる人がいるだろうか。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　アメリカは日本に対して日米年次改革要望書でもって自分たちの利益につながる方策を「グローバル経済」の名の基に押しつけた。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　あるいは沖縄からグワムへの移転費など3兆円もの金を要求している。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　アメリカ先住民族の問題、中国のチベットの問題も少数派民族文化が苦しんでいるが、沖縄も同じ位置にある。なんとかしたいものだと思いながら無力な腕をこまねいている。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>地方の市民運動</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>ささやかな幸せのために</title>
      <link>http://yoisakura.asablo.jp/blog/2009/02/01/4094649</link>
      <guid>http://yoisakura.asablo.jp/blog/2009/02/01/4094649</guid>
      <pubDate>Sun, 01 Feb 2009 11:28:18 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2009-02-01T11:37:22+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2009-02-01T11:33:42+09:00</dcterms:created>
      <description>　中学生の孫娘がやって来て水を欲しがった。ペットボトルの水を出すとコップに注いで一気に飲んだ。ややあってまた注いで一杯飲んだ。まあ若さというのはすごいなと思う。この頃、薬を飲むにもつい、お茶で飲む。薬を水で飲むとお茶が飲めなくなるし、お茶を飲むと薬の水が飲めない結果になる。&#13;&lt;br&gt;
　水分をたくさん取ると胃のあたりでタップタップと浪音のような音がする。もうそんなに水を吸収できない。生きているだけが幸せの世代。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　ところでテレビも新聞も不景気な大企業の大欠損と人員整理の話ばかりが見える。米国のサブプライムローンのバブル破綻予測は読んでいたが、日本までこんな形で影響が及ぶとは思わなかった。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　不気味な予兆といえば、あの頃、企業に社外重役を置く規則（？）が報じられた。その結果、株式会社は株主のものであるという主張がされて、株主のために働かぬものは社長であっても首になるとか、おかしな話を聞いた。そうなると不景気になれば従業員は手軽に首にされるという結果になる。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　公共のものである企業内部を、第三者が監視するという名目で社外重役は置かれたが、実は大金持ち株主のために企業の当面の利潤を上げる方法を覗き、大株主に有利な仕事をさせるだけの布石にすぎなかったのではないか。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　大店舗法にしても、株の三角トレードにしても、米国経済界の強欲のごり押しを、グローバル経済だと分かった顔のマスコミが後押しした。結果を考えずに主張したように見える。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　郵政民営化法もそうであったが、今、話題の「簡保の宿の一括大安売り」の問題も、結局、大金持ちしか関心を持てない金額にして売買する。そうした手法を海外コンサルタント会社が後押ししている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　これは強欲の仕業でしかない。世界観も人間観も違う。良心的な知識人の予測と警告は無視されていた。マスコミは総懺悔であるべきだ。ムーディーズの格付けとかは、本来、無責任な海外の企業にたよるべきではないと思う。&#13;&lt;br&gt;
　&#13;&lt;br&gt;
　まもなく５月21日から始まる「裁判委員制度はいらない」というセミナーを聞いたがこれも市民にとって悪法。百歩譲って運用をうまくすると考えても「拙速」であるという。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　どうしてこんな制度ができたのか、という質問に対して「いろいろあるが、年次改革要望書から出たとの話も聞いた」ということであった。ここでまた日米年次改革要望書が出てきた。相当な覚悟でアメリカと決別しなければならない。アメリカの手先となりさがった官僚機構を代えなければならないと思うのだ。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>地方の市民運動</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>「考える」こと</title>
      <link>http://yoisakura.asablo.jp/blog/2009/01/15/4057756</link>
      <guid>http://yoisakura.asablo.jp/blog/2009/01/15/4057756</guid>
      <pubDate>Thu, 15 Jan 2009 10:56:48 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2009-01-15T17:48:14+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2009-01-15T11:03:59+09:00</dcterms:created>
      <description>　週刊金曜日の今週号フロント面に「考える」という大きな文字が出ている。「考える」ことをテーマにしている。「考える」ことは人間として生きるために一番大切なことであり、生きている間は考えることを止めることはできない。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　けれども最近の人たちが考えなくなったということはどういうことなのだろうか。考えるのは歩くのと同じように生まれつき人間の中に育つものの筈だ。考えないようにするにはよほどの力が働かなければならない。生理的に脳の動きを休止させるのには座禅のような修行さえ必要になる。しかし考えないとはどういうことなのか。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　権力が行う思考停止の最大のものは焚書だろうと思う。考えるべき素材や考えを燃やしてしまうことで考えることを禁止し、そのことによって、思考停止を指向させる。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　考えることには結果を伴う。考えた結果、どうしようかということが決まる。しかし自由のない環境では、その結果を言うことも実行もできないし、考えの実証もできない。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　考えて、そしてそれに従って行動することができるのが自由と呼ばれるものなのだろう。自由な行動の結果は考えたことの内容を検証する。こうして人は試行錯誤を繰り返しながら成長する。つまり考えと考えの正しさをそれによって学ぶのだろう。しかし考えの如何によらず行動が決められるという自由の束縛は、すなわちそのことについての思考の停止を意味する。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　行動をきびしく規制することによって思考停止を起こそうとしている例は、例えば都教委の「君が代」の規律にあるだろう。良心の自由を束縛し、「君が代不起立」を制裁することは、教育とは何か、教育すべきことは何かと考える自由をも規制している。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　身近によくあることでは、自治会と呼ばれる地域の寄り合いでの話が、ボスの気に入らないテーマが提唱されると、なんでもかでも「それは政治的だから……」と却下してしまうことにあるだろう。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　自治会とは本来、地域の極めて政治的な会合であるのだが、それが行政機関や地域的な政治ボスの上位下達の機関になってしまっているのだ。そうして、自治会という寄り合いは寄生する地域の小ボスの存在で地方自治を悪くしている例が少なくない。魑魅魍魎に思考停止させられないように自戒すべきこと。&lt;br&gt;
</description>
      <enclosure url="http://yoisakura.asablo.jp/blog/img/2009/01/15/8b56c.jpg" length="36715" type="image/jpeg"/>
      <dc:subject>地方の市民運動</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>公という言葉</title>
      <link>http://yoisakura.asablo.jp/blog/2009/01/02/4039255</link>
      <guid>http://yoisakura.asablo.jp/blog/2009/01/02/4039255</guid>
      <pubDate>Fri, 02 Jan 2009 11:54:59 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2009-01-15T17:52:49+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2009-01-02T12:08:28+09:00</dcterms:created>
      <description>　農道を散歩して行くと、山陰の角の雑草が茂って人目に触れぬところに錆びた電化製品やぼろぼろの衣類が捨ててある。不潔で汚い。誰かがそれを掴んで掃除しなければならないと思う。だが、そう思っただけでぞっとする。誰がこんな不法投棄をしたのか。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　やはり最近の人々の心の中には、あまりにも公衆道徳といわれる「公」に対する配慮がなくなったのだろうか。そんな極論まで思いついてしまう。そう思いながら自分の中の「オオヤケ」の概念についてチェックした。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　北海道勤務の若い頃は奔放であることをよしとした。自分のことではないがこんなことがあった。北海道支社のＳ氏は、東京に出張するため千歳空港へ行った。航空機に搭乗する際にボディチェックがあったそうだ。当時、ハイジャック事件があり騒がれたため始まったらしい。それまでは珍しいことだった。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　Ｓ氏は「おれはそんなに怪しいものではない」と言い張ってボディチェックを拒絶した。係官はそれでは通せないと言って争いになったそうだ。時間が過ぎて航空機の出発の時間がせまった。困ってしまって「ではあの美人ならいい」と若い女性を指さした。結局、その女性のボディチェックで搭乗したという話だが、仲間から聞いてぼくらは腹を抱えて笑った。そんな時代があったのだ。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　また別な時の話だが、本社から社長が視察に来ると言う日だった。部長に「千歳空港までお出迎えに行かなくて良いのですか」というと部長は、「いや、必要ない。お出迎えになぞ出たら癖になる」と言い放った。そんな雰囲気が好きだった。その部長の下で当時の支社の部門は溌剌としていた。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　「公」に対して「私」をぎりぎりまで大切にするという精神だとぼくは思う。あえて言うならそんな風に努力して、あるいは真似てぼくはやってきた。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　ところで、公という言葉を調べてみると、「政府」、「社会」、「公共」、「皇室」などが並ぶ。その公と私の関係が乱れたのは、日本の高度成長のさなかからではないだろうか。つまり急速に大きな力を得た人たちが出現し、その人達は周囲に対する配慮が足りなかったのではないだろうか。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　しかし公の側から私に対する制約を急激に主張された時には、それは政治的権力的な意味合いで放たれて、話し合いや状況配慮のゆとりも少ない場合が多くなるのではないか。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　やっぱり「話し合い」、「配慮」で定まって行く方法をとって行かなくてはやさしい社会は作れない。そういう意味では公の主張は少なくして行きたい。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　言葉でいえば、公の内容は「社会」「公共」が中心にあり、その外側に「政府」や「皇室」があるという形であって欲しいと思う。またマスコミの役割はそうした公の姿を実現することにあるだろうと思ったりする。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　でもやっぱりゴミの不法投棄は困ったもんですね。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　事情で、一年間プログが書けなかった。市政の監視もなおざりになってしまったが、逆に自分にできることが、いまやこれしかないという思いも強くなった。&#13;&lt;br&gt;
　拙文のブログの応援をして下さる友人もいて、やはりこれを続けてみようかという思いの背中を押していただいた。少しテーマを広げて地方の市政ということにかぎらず書いてみようと思っています。平成21年年頭の想いです。元旦&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>地方の市民運動</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>国民健康保険はありがたい</title>
      <link>http://yoisakura.asablo.jp/blog/2008/03/11/2726886</link>
      <guid>http://yoisakura.asablo.jp/blog/2008/03/11/2726886</guid>
      <pubDate>Tue, 11 Mar 2008 11:23:01 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2008-03-11T16:52:47+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2008-03-11T11:37:29+09:00</dcterms:created>
      <description>　　病が治って退院したが、国民健康保険のありがたさを身に沁みて感じた。イラク戦争をしているアメリカでは、軍事費はあっても国民健康保険がない。病気になると医療費の支払で家庭が破産すると言われている。ヒラリーがしきりに保険を作る努力をしているがいまだにできていない。（アメリカ弱者革命－堤未果）&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　そのアメリカに追従して日本は、小泉、安倍と続いた政権が医療、介護、教育などを乱暴に扱って新資本主義、グローバル経済という名で破壊しようとした。&#13;&lt;br&gt;
　民間に任せた方が良い組織は確かにある。しかし他方、民間の効率優先、利益優先でやってはならぬ組織もまた厳然としてある。&#13;&lt;br&gt;
　人間の生きる根幹に関わる医療や教育や、介護、子育て、年金などの組織は一部の民営化はあっても、根本のところは国など公共のみんなのシステムとして大切にしてければならないと思う。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　３月９日ＮＨＫのＥＴＶ特集で「小田実・遺す言葉」が放映された。この人の生き方の中で私がいちばん感銘するのは、自分が米軍の大阪空襲で九死に一生の経験をして、その結果がアメリカではどう報道されたかということをハーバード大学図書館に見に行くことである。ニューヨークタイムス紙面の航空写真で、黒い煙に包まれて大阪は瓦礫の山でしかなかった。普通の女性や子供が炎に焼かれる阿鼻叫喚地獄は写っていない。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　その時、小田実は「人間の目がみる現実は鳥瞰図であってはならない。虫瞰図として、火炎の中で苦しむ小さな虫けらの一つとして現実をみなければならない」と感じるのである。ハーバード大学の強者の側に自分を置かなかった。&#13;&lt;br&gt;
　この思想の偉大さと新しさはこれからずっと未来のものであると私は思う。また小田実は言った。敗戦によって日本は確かにアメリカから「自由」と「平等」のデモクラシーを得た。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　しかし日本人はそれにもう一つ大切な新しいものを付け加えた。それは「平和」であり平和を基礎として産業などの市民生活を築いたことである。この平和憲法９条を決して失うことがあってはならない、と遺言した。この言葉は心から尊敬するロール・モデルとして私の中に残った。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>地方の市民運動</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>懐旧</title>
      <link>http://yoisakura.asablo.jp/blog/2008/02/09/2613216</link>
      <guid>http://yoisakura.asablo.jp/blog/2008/02/09/2613216</guid>
      <pubDate>Sat, 09 Feb 2008 12:34:02 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2008-02-09T12:37:43+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2008-02-09T12:37:43+09:00</dcterms:created>
      <description> さんぽ&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
カントかキェルケゴールを真似て&#13;&lt;br&gt;
思案しつつ町内を散歩する&#13;&lt;br&gt;
家々の屋根は夕日に光り&#13;&lt;br&gt;
北風が枯葉やちりを吹き飛ばすころ&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
町内の検査で大腸ガンを宣告され&#13;&lt;br&gt;
腸を20センチ切った&#13;&lt;br&gt;
腹腔鏡手術で痛くはないが腹を切った&#13;&lt;br&gt;
最先端医術の恩恵でお腹の穴は小さかった&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
手術による３週間の流動食と休養で&#13;&lt;br&gt;
筋肉は完全に取り去られ老人にしてくれた&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
子供の頃、夏の夕方の散歩に出たら&#13;&lt;br&gt;
校長先生が川で釣りをしていた&#13;&lt;br&gt;
釣り竿をビューと振って釣り針をぽちゃりと川に落とす&#13;&lt;br&gt;
そこはボクらが昼間、川に入ったところ&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
ボクらは木綿糸を篠竹にくくり付けてズウコン釣りをした&#13;&lt;br&gt;
川の石を蹴飛ばして川虫を流し、篠竹を前後して歩くと魚がかかった&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
校長先生の釣りをしばらく見てぼくは家に帰った&#13;&lt;br&gt;
夕暮れは迫って先生の姿も薄くなっていた&#13;&lt;br&gt;
故郷の清流にもう魚が居ないと先年亡くなった菊池が言った&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
川を真っ直ぐにし護岸したから何もかもいなくなった&#13;&lt;br&gt;
馬鹿なことをして、と子供の頃さかな博士だった菊池がいった&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
故郷に帰ったところで魚釣りをするところもないだろう&#13;&lt;br&gt;
こどもにも老人にも遊び場はない&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
老人だからまだいい&#13;&lt;br&gt;
老人はだまってすたすたと散歩する&#13;&lt;br&gt;
自分もその１人として散歩する&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>地方の市民運動</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>KYのこと</title>
      <link>http://yoisakura.asablo.jp/blog/2008/01/01/2539836</link>
      <guid>http://yoisakura.asablo.jp/blog/2008/01/01/2539836</guid>
      <pubDate>Tue, 01 Jan 2008 12:52:12 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2008-01-01T12:58:27+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2008-01-01T12:58:27+09:00</dcterms:created>
      <description>　新年おめでとうございます。今年は失礼して年賀状をお休みました。&#13;&lt;br&gt;
　昨年の夏に95歳で叔母が亡くなり、その後92歳の妹の叔母を施設に入れるなどで忙しくしていました。二人の叔母は一緒に生活していましたが、それぞれに独身で暮らしていましたので、一番の身寄りは私ということになります。お墓のこと、遺産のことなどしているうちに私自身に変調を感じて、心臓カテーテルとか大腸内視鏡など先端医学の洗礼を受けガンが発見されました。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　まあ叔母が亡くなったことで、服喪欠礼のご挨拶かと思いましたが、それも素っ気ないのでぐずぐずしている内に自分の身体の不調もあり年賀状を書く時間を失してしまいました。&#13;&lt;br&gt;
　地方政治に関することも、中央の政治に対する抗議活動も暫時休止です。そうなるともともと地方政治のことを書くつもりのブログなので、プライベートなことも書けずブログも中途半端に休止になってしまいました。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　社交術の話に「政治的な話題を避ける」という教訓があります。政治は利害の調整ですから、とうぜん対立を生み仲良くお喋りするムードには向かないのでしょう。しかし人間の生活の場面では利害調整はひんぱんにしなければならない問題なのですよね。ところが場合によっては「それは政治的な問題だからここでは扱わない」などということが言われ検討も妨げられます。それが身近な自治会などでひんぱんに聞かれます。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　ＫＹという流行語がありますが、まさに自治会はＫＹ（空気を読む）の場であります。なんとなくその場のムードで会議が決まり大切な事柄が司会者や有力者の思うままに諮られてしまうという事態に至ります。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　ＫＹに従うということは和やかなムードで人々が気持ちよく物事を禅譲の気持ちで決められたように思うのですが、実は少数者や異端の人々の心に不快なもやもやを残して（その人たちの不利益や犠牲の上に）終了することが少なくありません。そうしたＫＹを排除することこそ、そして何とかならないかと議論し、考え、調整することこそ新しい秩序を生み出す大切なことだと私は思っています。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　政治的なことに首を突っ込んだのもそのことでした。そしていまガンという異端分子を身体の中に抱えて、これは切除しなければならないのですが、人間集合の組織としては大切に大胆に育てていかなければならないという風に新聞を読みながら考えたのです。私にＫＹを逆らって発言する勇気とＫＹを思う方向に変える力が欲しいとそれを年頭にあたって考えています。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>地方の市民運動</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>「こんな公園にしたい」</title>
      <link>http://yoisakura.asablo.jp/blog/2007/10/20/1861957</link>
      <guid>http://yoisakura.asablo.jp/blog/2007/10/20/1861957</guid>
      <pubDate>Sat, 20 Oct 2007 13:05:09 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2007-10-20T18:57:50+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2007-10-20T13:16:27+09:00</dcterms:created>
      <description>　西部自然公園に関するシンポジュームのパネリストにされた。二つ返事で引き受けたものの困惑している。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　「こんな公園があったらいいなあ」という思いはあるが、公園を管理したことも作ろうと構想を練ったこともいまだない。関わった理由は、行政主導ではなく市民協働の一つのサンプルとして公園作りを機能させたい、またそうすれば良い構想が生まれるであろうかと思ったからだった。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　転勤であちこち動いたが、札幌市の藻岩山、北九州の小文字山、弘前市の久度寺など転勤先の借家はだいたい山麓で、休みの日に山道を散策するのが楽しみだった。&#13;&lt;br&gt;
　どの公園も楽しかったがどう管理されていたのかは全く気づかなかった。　しかし、登るための遊歩道など、それなりの先人や地元民のご配慮と奉仕があってのことだったろう。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　藻岩山は冬はスキー場になるのでリフトがあった。周辺は原生林として守られていた。ヒグマ警報がでることもあった。&#13;&lt;br&gt;
　小文字山は山腹に朝鮮戦争で亡くなった米兵の鎮魂碑があり、その先は足達山に続いていた。&#13;&lt;br&gt;
　久度寺はオシラサマで有名な寺があるから宗教施設の山ということができる。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　私はそういう意味で、自然の楽しみの消費者であって生産者であったことが一度もなかった。今回はその反省で立場を変える意味で公園に奉仕したい。また、自然が破壊されぬように努めるには、お百姓さんが少なくなった現今、自然環境の楽しみの生産者になる人が名乗り出ることが必要だ。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　西部自然公園の多くの土地は、谷津を取り囲む里山と呼ばれる小高い丘であるが、山頂の裏側台地が車道に通じているため、神社でも祭られているべき場所に不法投棄が山をなしている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　また人通りも少ないので草が生い茂って歩きにくい。しかも入り口には「マムシに注意」という佐倉市の看板が立っている。今の生活者はマムシの姿を見たこともないし習性も知らないから看板は「入るな」という脅しにしかならない。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　用地は82ヘクタールという広い面積なのだから、まず案内図や標識が必要だろうと思う。見所の説明も必要だ。それに従って、ボランティアは道を整備したり草刈りや里山の枝払いと間伐などを行うのが良いと思う。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　条件が整えば、草刈りも枝払いも間伐も楽しい労働になるし、ボランティアの希望者も少なくないだろう。市民の参画と奉仕で生物多様性を尊重する公園にすること。すべての生物のための公園にすることを主張し市民主導の作業にすることを説こうと思う。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　少々個人的なことを述べれば、谷津田の開墾などを手伝ってひどく疲れるようになった。歳のせいだとは思っていたが、市役所健診で引っかかったついでに３日間の入院で心臓のカテーテルを行った。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　手首をつよくビニールで巻かれて、その上にまた手術衣を被せて、衣の上から針を刺した。心臓まで管を入れて造影剤を注入する。痛みはないが身体が熱くなる（心臓が本当に悪い人は痛むことがあるそうだ）。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　ぐさりという感じで刺された時、これが痛かった。後は辛抱して時間経過を待つのみだった。終了後は動脈を止血するために一日強く抑える。これがまた痛い。しかしそれ以外は快適な休日だった。病院も清潔で若い美人の看護師さん（こんなことを言ったら叱られるが）も親切だった。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　結局、血管に異常はないようだったが、血圧は下げなければならないということで、大量の薬を持たされた。知人は「仕事を抱え込んでいたら血圧が上る。仕事を止めたら下がる」と言ってくれたが、その通りだと思う。定年後の大学講師も止めてそれから更に忙しい。しかし主治医の先生はそう簡単に事情を認めたり、わがままを許してはくれない。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　検査入院で体のリズムが狂って、退院後にはさらに不調になった。アスレチックへ体操にも行けず仕事ばかりなのでこれもよくない。こうして老いて行くのだろう。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　叔母が残した遺産分与のため、調べたり、整理したりして親しくない親族に連絡した。これから会いに行き、印鑑を貰わなければならない。今になって、この面倒を避ける為には認知症になる前に遺書を書かせておくべきだったと後の祭りの後悔したりする。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　介護老人ホームへ入れた認知症の93歳の叔母の世話も大変だし、亡くなった95歳の叔母の永代供養墓の用意も「勉強だ」と思えば苦にならないが、たいへん手間の仕事なのだ。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>地方の市民運動</dc:subject>
    </item>
  </channel>
</rss>
